パジャマとテディベアと私

子持ち30代会社員(女)の毎日を綴ります。

過去のお焚き上げ

ジャーナリストの伊藤詩織さんが性暴力を受けたとして起こしていた民事裁判にて勝訴となったことで、twitter上で、合意だとか女性も気を付けるべきだとか、実際に性被害を受けた人たちの話だとか、色々な意見が交わっている。そんな様子を見てとりとめもなく思うことがあったので、記しておく。

私も多くの女性と同じく(男性もあるのだろうが、私の実感からは外れているのでここでは触れない)、被害を被ったことがある人間だ。覚えている最も古い記憶は、小学1年生の時。詳細は書かないが、30代になっても思い出せるということから分かるように、ショックの大きい出来事だった。

そんな私だが、人並みに恋愛してきたし、結婚して子をもうけることも出来ている。結果だけを見ると、被った害は人生に影響していないように見える。

だけど、実際は、少なからず影響しているのだ。

そもそも、害ってなんだろう。
痴漢やら変質者との遭遇は、害だろう。では、好きでもない男性からの度を越したアプローチは?知り合いの男性からのスキンシップは?知らない人からの、不躾な視線は??
私の中では、全てが害だ。害と思える行為全てにおいて、加害者が浮かべる独特の表情がある。こちらをそういう対象として見る時の、欲の塊のような表情だ。見知らぬ人にそんな顔を向けられるのは勿論怖いし、知り合いでも、何とも思っていない相手がその表情を浮かべていても、それまた恐怖である。

私は、その表情たちにショックを受けたり、不愉快に思ったり、反撃したり、時には利用したり、上手くかわしたりしてきた。年を取るにつれてその術は増えていく。そうやって、自分の心に折り合いをつけていく。世の中こんなものだから、と言い聞かせる。心の中で、受けた被害を焚き上げ、供養しているのに近い。

私は幸い上手く供養出来た結果、前述したとおり、恋愛できたし、結婚できたし、子を持てた。
想像だが、他の女性も大体そんな風にしていると思う。

ただ、いくらそういう過去を火にくべても、必ず灰は残る。結構しつこく残り続ける。普段は忘れていても、ふとした切欠で(例えば今回のようなニュースによって)思い出すのだ。

私も思い出した。そして、沈んでも仕方がないのに重たい気持ちになった。子を、ぎゅっとハグしたくなった。
いつもより少し暗い夜になった。